*『大阪城梅林梅便り』表紙に戻る
【 沿革、観梅のアドバイス、毎年の開花状況など大阪城梅林を写真で紹介します】

*下端のメニューは複数段に分かれています。右端の▼をクリックして移動してください
*更新内容が表示に反映されない時はブラウザーのキャッシュをクリアしてみてください
*ご意見、ご感想はfromosaka@gmail.comまで。
ただし、個人運営のサイトにつき個別のお問い合わせにはお答えできない場合がありますm(__)m
since 2003,01,06

2003- T.Kono: All rights reserved

・2007,01,26:1/26の開花状況・2007,01,22:1/22の開花状況 , 「ギャラリー2007」のページを新設・2006,03,31:2006年の梅便り、無事完結しました!・3/13の開花状況・2006,03,13:3/13の開花状況・2006,02,20:2/20の開花状況・2006,01,04:2006年梅だより開始しました。2007,03,18:3/17の開花状況をアップ009609215321222(大阪城梅林について)【 場 所 】 大阪城公園内、二の丸東部分【 入園料、開園時間 】 大阪市が管理する公園であり入園料は無料。また、開園時間は特に定められておらず年間を通じて24時間出入り自由となっています。【 沿 革 】 今では大阪を代表する早春風景の一つとして毎年多くの観梅客で賑わう大阪城の梅園の歴史は意外と新しい。1972(昭和47年)大阪府立北野高校(旧制北野中学)創立75周年を記念して、同校の同窓会より大阪市に寄贈された約20種、計880本の梅の木を元に梅林が造成されたのがその始まりである。その後は年々、種類、本数ともに増え続け2002年3月現在、93種約1250本にも達している。良く整備された1.7ヘクタールの地に開花時期、色合いを考慮して配置された梅の木々の織りなす風景は一見の価値がある。 なお、ここは大阪城の中では『市正曲輪(いちのかみくるわ)』と呼ばれているところ。その由来は豊臣時代に片桐市正(いちのかみ)且元の屋敷があったことに由来する。江戸時代には城内警備に当たる大番職を助勢する加番職のための三つの屋敷(加番小屋)が南から順に立ち並んでいた場所で(戊申戦争時に全て焼失)、明治期から太平洋戦争終結時までは全域が陸軍関連の施設となっていた。戦後は梅林が造成されるまで上等とは言えない運動場に整備され、主に大阪府警機動隊の訓練場として使われていたが、戦後すぐの頃には自動車訓練所として使われていた時期もあったという。大阪城梅林がもっとも多くの花に包まれるのは例年二月末から三月上旬にかけて。この頃の大阪城は東半分が梅の芳香に包まれると言っても過言ではないほどのすばらしさであり、是非とも足を運んでいただきたいと思う。ただこの梅林の場合、早咲きから遅咲きまで実に数多くの品種が揃っており、例年年末から3月下旬にかけての長期にわたって何らかの梅花を楽しむ事が出来るのが特徴。それぞれの時期にそれぞれの良さがあり、一度といわず出来れば複数回足を運んで移りゆく花の姿を楽しむ事をおすすめしたい。 例年の開花パターンを簡単に述べておくと年末最終週あたりからちらほら咲き始める蝋梅、冬至梅などの早咲き種が見頃を迎えるのが一月下旬あたり。二月にはいると本数の多い緑萼など普通咲きの花が一斉に開花を始め、二月最終週から三月第一週あたりにもっとも数多くの花が咲きそろう。その後、主流は豊後梅、八重揚羽といった遅咲き種に移っていくが、この時期からはその年の気候によって花の見頃時期が大きく変わってくるので注意が必要だ。寒い日が続けば春分の日をすぎても多くの花を楽しむ事が出来るが、少し暖かい日が続いた年は三月半ばあたりで全ての花が散り去ってしまうということもある。