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松屋町筋から谷町筋
堀(惣構)跡を歩く 1
最終更新/2002年1月6日

空堀商店街
ここは大阪市内ではちょっと有名なハイカラな商店街

 現在も川として残る西惣構堀(東横堀川)から空堀として分岐するのが、ちょうど松屋町筋に面した、その名もずばり「空堀商店街」の入口あたり。このあたりは上町台地の西端にあたり、商店街の道並は緩やかな上り坂となっている。松屋町筋の通りあたりにはかっての堀跡をしのばせるものは(道のくぼみさえ)何もないが、商店街を登り始めるとすぐに道の南側に沿ってかっての堀跡が顔をのぞかせる。

地図はこちら


東横堀川の流れ

 現在の東横堀川も豊臣大坂城の外堀(西惣構堀)として作られたものである。他の惣構堀と同様、冬の陣講和後、徳川によって埋められたが、埋め方が荒かったのだろうか、ほどなく水が流れ始め、江戸時代を通じて運河として利用された。上を阪神高速環状線が通るこの川は道頓堀川、木津川をへて大阪湾へいたる。

松屋町筋

 松屋町筋はおもちゃ、駄菓子の問屋が軒を並べることで有名な一帯。雛人形、五月人形で有名な店が多く、また価格も安い(らしい)。夏場には花火の小売をやっている店も多く、纏め買いをするにはとっても便利。
 だが、この道筋には地形的には一切堀跡の痕跡をとどめる物は残っていない。

空堀商店街の西側入り口

 空堀商店街の西入口。ここは坂の下にあたり、登りきったところが谷町筋だ。上町台地一帯は太平洋戦争時の空襲で甚大な被害を蒙った所だが、このあたりは奇跡的に焼け残ったあたりで、「えっ!」と思わせるような古い家並も所々に残っている。

商店街風景

 江戸期のこのあたりは農地に民家が点在するといったところだった。明治以降、農地をつぶして小さな民家が立ち並び、高台ではあるが実質的に下町となった。 現在のこの商店街には庶民的、かつ個性的な店が多いことで有名だ。

南側に見られる空堀跡の陥没

 商店街の坂を半分くらい上ったあたりから、道の南側に陥没した地形がはっきりと残っていることがわかる。

陥没の幅は数十メートルに及ぶ

 写真では分かりにくいが、陥没の幅は数十メートルにわたる。現在の大坂城の外堀規模の空堀だったんだろうな。

谷町筋との交差点

 商店街の坂を上りきった所で谷町筋に出る。以前は気がつかなかったが、この道は堀跡と思われる部分が少しだけ陥没している。


次は谷町筋から空堀町のあたりを歩きます。
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