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谷町筋から空堀町
堀(惣構)跡を歩く 2
(02/01/16更新)

空堀通り南側に沿って続く空堀跡の陥没
 谷町筋から上町筋辺りは上町台地の真上の平坦な地形が続くあたり。空堀商店街の賑わいも次第に途絶え、民家が立ち並ぶ一帯は地形的に、よりはっきりと、かっての堀跡を見て取ることが出来るが、空堀通りの一本南側の道が堀の底部となっていたようだ。このあたりは大阪の中でも最も歴史の古いところであり、古代から近世に至るまでの史跡が数多く残る場所でもある。大阪市も「歴史の散歩道」の上町台地北コースとして整備を進めている。

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空堀商店街〜谷町筋東側近辺

 谷町筋を東側に越えたあたり。空堀商店街の賑わいもこのあたりまで。だが、このあたりには結構穴場的な名物スポットが点在する。

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メールいただければ個人的に教えます、が「飲食店」です。お間違えのなきように、、、(^^;

空堀通りに沿って続く道の陥没

陥没の幅は40-50mくらいか。ここが空掘だったころの風景はどんなものだったのだろう?

かっての堀跡を示す地形

やはり空堀通りの南側に沿った形で、かっての堀跡を示す陥没した地形が続く。このあたりも太平洋戦争で焼け残ったところ。一歩路地の中に入っていくと昔懐かしい石畳の敷かれた長屋風景が未だに健在だ。

上町筋との交差点

 空堀通りを上町筋に出たところ。ここから南を眺めると、堀のあったと思われる辺りがはっきりと陥没している。やはり、いろんな場所に歴史ありだと実感できる。(ちょっと写真では分かりにくいのですが)

ひかりのくに前プレート

 上町筋東面に面した「ひかりのくに」株式会社の前の植え込みには、新社屋建設時に大坂城惣構堀跡が発見され、三ヶ月をかけて発掘調査を行った旨、記されている。
 このときの発掘調査書、ご存知の方、お知らせください、、、m(__)m

清水谷町近辺

 豊臣時代、この付近に居を構えた利休にちなむと言われる清水谷町あたり。このあたりを過ぎると堀跡の陥没は急に北東に進路を変える。

円珠庵  惣構堀南部の高台(餌差町交差点角)にある円珠庵(えんじゅあん)。「鎌八幡」との異名をとるこの小さなお寺は真田幸村の伝承と深いかかわりを持つ。

         
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空堀町交差点  北東に向かう堀跡は長堀通りの「空堀町」交差点の辺りで再び東向きに進路を変える。
 この空堀町の地名は明治五年の町名変更の際、豊臣時代の空堀跡と伝えられてきた生駒町、万年町、立半町、宮崎町などの一定地区をまとめてつけられた物で、それ以前にさかのぼる物ではない。

次は空堀町から玉造交差点辺りをまわります
写真をクリックして進んでください
更に東へGO!

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