 |
谷町筋を東側に越えたあたり。空堀商店街の賑わいもこのあたりまで。だが、このあたりには結構穴場的な名物スポットが点在する。
↑
メールいただければ個人的に教えます、が「飲食店」です。お間違えのなきように、、、(^^;
|
 |
陥没の幅は40-50mくらいか。ここが空掘だったころの風景はどんなものだったのだろう?
|
 |
やはり空堀通りの南側に沿った形で、かっての堀跡を示す陥没した地形が続く。このあたりも太平洋戦争で焼け残ったところ。一歩路地の中に入っていくと昔懐かしい石畳の敷かれた長屋風景が未だに健在だ。
|
 |
空堀通りを上町筋に出たところ。ここから南を眺めると、堀のあったと思われる辺りがはっきりと陥没している。やはり、いろんな場所に歴史ありだと実感できる。(ちょっと写真では分かりにくいのですが)
|
 |
上町筋東面に面した「ひかりのくに」株式会社の前の植え込みには、新社屋建設時に大坂城惣構堀跡が発見され、三ヶ月をかけて発掘調査を行った旨、記されている。
このときの発掘調査書、ご存知の方、お知らせください、、、m(__)m
|
 |
豊臣時代、この付近に居を構えた利休にちなむと言われる清水谷町あたり。このあたりを過ぎると堀跡の陥没は急に北東に進路を変える。
|
 |
惣構堀南部の高台(餌差町交差点角)にある円珠庵(えんじゅあん)。「鎌八幡」との異名をとるこの小さなお寺は真田幸村の伝承と深いかかわりを持つ。
詳しくはこちら |
 |
北東に向かう堀跡は長堀通りの「空堀町」交差点の辺りで再び東向きに進路を変える。
この空堀町の地名は明治五年の町名変更の際、豊臣時代の空堀跡と伝えられてきた生駒町、万年町、立半町、宮崎町などの一定地区をまとめてつけられた物で、それ以前にさかのぼる物ではない。 |