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市正曲輪と大阪城梅林
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早春の風物詩
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| 最終更新日:2002/04/02 |
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写真右中段のレストハウスは1982年3月、大阪府・和歌山県ライオンス・クラブ連合から
大阪市に寄贈されたもの |
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大阪の早春の風物詩の一つとなった大阪城梅園。ここには江戸時代、雁木坂にそって3つの加番小屋が並んでいた。加番とは城内警備に当たる大番という役職の助勢のため設置された役職で、一の加番から四の加番まで四名が城内の加番小屋に家来とともに寝泊りし一年間の任期を勤めた。山里丸にあった一の加番がランクが最も高く、二〜四の加番あたりになると一〜二万石級の大名が任命されていたらしい。江戸時代もこのあたりは「市正曲輪」と呼ばれていたが、これは豊臣時代に片桐市正(いちのかみ)且元の屋敷があったことに由来する。
片桐且元は賤ヶ岳七本槍の一人で秀吉側近の家来の一人だったが、秀頼の守役を命ぜられ、豊臣家の重臣として重要な位置にあった。豊臣、徳川両家の対立が深まる中で彼は仲裁役として両氏の和解のために尽力したが、「国家安康」で有名な方広寺の鐘の件あたりから豊臣家側の強硬派の反発が強まり、ついに弟の片桐貞隆とともに大坂城を脱出、居城の茨木城へ逃れた。これが結果的に大坂冬の陣の引き金となっている。
忠臣として有名な片桐且元だが実際はどうだったのか。その後の彼は冬の陣、夏の陣ともに徳川方にくみし、特に冬の陣では家康の命により、備前島からの大砲による大坂城砲撃の指揮も担当している。
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| 大 阪 城 梅 林 |
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大阪城梅園は大阪の早春の風物詩として1月末から3月中旬にかけての梅のシーズンには毎年多くの人が訪れる。都心部にこれだけの規模の梅園があること自体珍しいが、ここの特徴は花のバランスを考えて絶妙な配置がなされている事と、珍種を含む数多くの花を楽しむ事が出来る事。
一番の見ごろは二月末から三月初旬にかけてあたり。陽射しに春の気配は感じられても、寒風吹きすさぶこの頃に、茶店で甘酒をすすりながら色とりどりの梅の花に興じるのもまたおつなもんです。
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大阪城梅林〜その沿革
今では大阪を代表する梅の名所となったこの梅林の歴史は意外と新しい。1972(昭和47年)大阪府立北野高校(旧制北野中学)創立75周年を記念して、同校の同窓会より大阪市に寄贈された約20種、計880本の梅の木を元に梅林が造成されたのがその始まりである。
その後は年々、種類、本数ともに増え続け2002年3月現在、93種約1250本にも達している。良く整備された1.7ヘクタールの地に開花時期、色合いを考慮して配置された梅の木々の織りなす風景は一見の価値がある。 |
大阪城梅林/発祥の碑(?)・・・梅林の中央にある
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| 明治期から戦前までは軍関連の施設が所狭しと建ち並んでいたこの地だが、戦後は梅林が造成されるまでは上等とは言えない運動場に整備され、主に大阪府警機動隊の訓練場として使われていた。また、戦後すぐの頃には自動車訓練所として使われていた時期もあったという。 |
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| 全ての木に種名を記した銘板がついている |
シーズンオフは、こんな感じ(^^;
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*写真アルバム・大阪城梅林梅便りも合わせてご覧ください
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