幕府特製の火薬庫
(最終更新:2004,11,06)

もちろん重要文化財指定

 焔硝蔵(えんしょうぐら)とは火薬庫のこと。徳川時代の大坂城では当初、土蔵製のものが本丸隠し曲輪と青屋口の出角内の二カ所にあったが、その内の一つ、青屋口の火薬庫に万治元年(1660)六月、雷が直撃し大爆発を起こした。貯蔵中の82tの黒色火薬、鉛玉43万個、火縄36000筋が焼失したとの記録があるが、城内はもちろん城外でも多数の死傷者を出すとともに市街家屋が1481戸倒壊するなど大地震並みの大惨事を引き起こしている。その爆発の凄まじさは青屋口城門の扉の一部が14km離れた暗峠(くらがりとうげ)まで飛来したという話があるほどである。

 これに懲りた幕府が工夫を凝らして作り上げたのが貞享二年(1685)竣工のこの焔硝倉。床、壁、天井すべてが分厚い花崗岩で覆われ頑丈なことこのうえない上、東西の出入り口とも三重の金属製の扉で密封されるなど防火、盗難に対する備えは万全。さらに空気穴を巧みに配するなど防湿対策も施されている。火薬庫としては比類のない出来で、明治以降も陸軍が引き続き使用していたという。

 なお、大坂城内には同じ石造焔硝倉が伏見櫓内側(現在の極楽橋北側売店横の仕切門西側あたり)にもあり、明治時代以降も残っていた事が地図や写真で確認出来るが、昭和初期あたりに姿を消している。








[ 焔硝倉内部 ]



 幅2.7m、高さ2.5m、長さ15.8mの内室は側壁、床、梁、天井板とも全て切り石花崗岩で石の隙間は漆喰で丁寧に埋められている。石壁の厚さは2.4mもあり、本瓦葺、寄棟造の屋根裏も分厚い粘土敷となっているなど、他には比べるものがない頑丈な石造古建造物である。

 なお、この焔硝倉は屋根のみ昭和三十四年(1959)に解体修理が行われている。



瓦は当然「葵」の御紋


 
 
20010426