
"その値、千貫文"
(最終更新:2004,11,06) |
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大手口から見た千貫(せんがん)櫓。近くで見るその姿は端正で重厚
あたりまえだの重要文化財指定 |
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千貫櫓(せんがんやぐら)は西の丸公園の西南隅に位置し、大手門を側面から防御する重要な櫓。名前の由来は織田信長が石山本願寺を攻めた時、横矢が効果的に飛んでくる隅櫓がこのあたりにあって難儀し「あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与えても惜しくない」と話したことにあるという。真偽の程は別として豊臣時代にもこのあたりにあった隅櫓も同じ名前で呼ばれていたようだ。 |

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| 内部は一、二階とも回廊の内部に四室づつ板張りの部屋がある |
千貫櫓は元和六年(1620)に小堀遠州の設計・監督の下に築かれた一連の建物の一つであり、大阪城内に残る建物の中では西の丸内にある乾櫓と並んで最も古い建造物である。昭和三六年(1961)の解体修理の際「元和六年九月十三日御柱建つ」と墨書銘のある板が土台部分から発見され、上棟式の年月日も明らかになっている。 |

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千貫櫓は大手門・多聞櫓と共に例年、春と秋の二度それぞれ一週間程度、内部公開されている。期間については大阪城天守閣のイベント案内のページをチェックしてみてください。 |

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| 城内側(西の丸側)から見ると窓が無く"プレーン"な印象 |
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