旧・大阪市立博物館/陸軍第四師団司令本部

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【 旧・大阪市立博物館/陸軍第四師団司令本部 】

hommalu005.jpg 昭和3年(1928)、大阪城天守閣復興計画がスタートした時に天守閣の再建と城域の一部を公園として市民に開放する条件として司令部庁舎を合わせて建設し国に寄付することで当時、大阪城全域を管轄していた陸軍側の了承を得た。この時、師団司令本部側からは公園化を許可する範囲を特定し、天守閣を含めた公園施設を戦時など非常時には無条件明け渡しすることも要求事項として提示されていたが、事実、太平洋戦争開戦後の昭和17年(1942)9月には天守閣への一般市民の立ち入りは禁止となり、天守閣は陸軍の通信施設として使われている。

 建設費は天守閣建設のための市民からの寄付金150万円中、半額以上の80万円を占め、これは天守閣の47万円、公園整備費用の23万円を遥かに上回る割高なものだった。実際、当時、流行していたスクラッチタイルを用いた外装はもちろん内装にも意匠を凝らした装飾がふんだんに盛り込まれるなど建造物としての贅沢度は天守閣をはるかに上回るものとなっている。施工は清水組(現・清水建設)。昭和6年3月22日に天守閣に先立ち竣工している。

haku_06.jpg 戦後は昭和23年3月に米軍による接収が解除され、同年4月より大阪市警察本部が置かれた後(昭和24年9月より大阪市警視庁、昭和30年7月より大阪府警察本部)、昭和35年(1960)に大阪市立博物館としてオープンした。1、2階が古代から近世末までの大阪の歴史の常設展示所に、3階は特別展示用に当てられていた。博物館は平成14年(2002)に大阪歴史博物館として馬場町へ移転し、その後はイベント時の開催本部などとして時折使用されることがあるが今後の運用方法については今も決まっていない。

ミニアルバム ※クリックで拡大します

haku_07.jpg正門前にはられた案内板
haku_04.jpg中世ヨーロッパの城館をイメージネオルネッサンス調の外見は実に豪壮な印象。
haku_08.jpg正面上部中央には終戦まで菊の御紋章がはめ込まれていた。その跡は今もよく分かる。(少し白くて丸い部分です)
20131103_06.jpg外装は当時流行だったスクラッチタイル貼り。

2011年秋 内部公開の様子より

haku_09.jpg内部も重厚なイメージ
20131103_03.jpg内装には意匠を凝らした装飾がふんだんに盛り込まれている。
20131103_04.jpg中央階段の照明灯には千成瓢箪。ステンドグラスもある。
hommalu019.jpg2階メイン展示室。昭和7年(1932)、陸軍特別大演習が挙行された際、
haku_10.jpg昭和天皇の大阪城行幸があり、その時に貴賓室として使用されている。
20131103_01.jpg屋上からの本丸広場。
20131103_05.jpg戦前までこの屋上には高射砲陣地と、
20131103_02.jpg有事の際の通信手段として伝書鳩が飼育されていた。