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街を歩く
岸和田旧市街探訪
(最終更新:2001年11月18日) |
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| 二の丸広場よりの西方の眺め。大阪市内ではまず残っていない町並みだ。 |
岸和田の旧市街地は南海電車の南側、南海岸和田駅と蛸地蔵駅の間の岸和田城を取り囲むあたりだ。このあたりを歩いてみてまず驚いたのは、大阪市内ではまず残っていない(太平洋戦争時の空襲で全部焼けちゃったからね)古い町並みが未だに数多く残っていることだ。特に城の西部の紀州街道に沿ったあたりと、上級武士の住んでいた武家屋敷が残る(但し非公開)岸城(きし)町あたりには見所が多い。
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| 南海岸和田駅 |
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| 久々に訪れた南海岸和田駅舎が立派になってることにまずビックリ。関空開港に備えた立体交差化、駅舎整備の結果らしい。地上駅だった頃の駅ド
ーム正面にあった半円状のガラス窓をイメージした窓がかっての名残をとどめる。でもナメちゃいけないよ。特急「サザン」はおろか、あの「ラピートβ」もここには停まる!、、、(^^; |
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| 駅南口から一直線に伸びる商店街。ちょうど地元商店街組合の主催するイベントが開かれていて、結構賑わっていた。毎年9月15日のだんじり祭りの際には数多くのだんじりがここを疾走する。 |
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(オマケ)
← これってだんじりのぶつかったあと?
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| 紀州街道 |
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旧26号線の一筋南側を通る旧紀州街道。大阪高麗橋を起点に住吉、堺、岸和田を通り和歌山に至る。紀州徳川家や岡部家の参勤交代のため整備された幹線道である。
岸和田の城下町は岸和田城を中心にこの街道沿いに発達していったが、地元住民の方々の努力により今でも古い商家がそのままの形で数多く残り当時の様子を偲ぶことができる。このあたりの町並み保存の活動に対して建設省は「手作り郷土賞」を授与している。(右上写真は「一里塚弁財天」) |
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岸和田「だんじり会館」
岸和田にきたら是非とも立ち寄りたいところ。現存する最古のだんじりをはじめとする豊富な資料の展示、祭りの情景を大迫力で見せる27面マルチビジョンやだんじりに乗った気分を味わえる3Dシステムまである。
開館時間 10:00-17:00(入館は16:00迄)
休館 :月曜日(祝祭日は営業)、年始年末
料金 :大人600円 子供300円
(自然資料館、郷土資料館(天守閣)との
三館共通券700円(子供350円)が絶対お得)
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| バーチャル3Dだけではない。本物のだんじりにも乗れる。但し、混雑時は一グループ5分までの制限つき。 |
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岸城(きし)神社
天平17(1362)年創建。京都の八坂神社よりスサノオノミコトを勧請したのが始まり。その後、小出秀政が天守閣を築いたとき、八幡神社を合祀し、この神社を岸和田城の鎮守神とした。
現在は契りのお宮として数多くの人からの崇拝を集める。また、9月15日のだんじり祭りでは14台のだんじりが宮入りする。
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| とりあえず縁談関係のお願いだけはしたのだが、、、(^^; |
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武家屋敷(非公開)
岸城神社周辺の岸城町あたりには上級家臣団の屋敷町だった。岸和田5万3千石の城下町を偲ばせる武家屋敷が現在もいくつか残っている。
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三の丸神社
だんじり祭り発祥の地とされる。元禄時代、時の藩主・岡部長泰が京都伏見稲荷を城内に勧請し、領民に広く参拝を許した。このとき始まった稲荷祭がだんじり祭始まりとされる。
由緒ある割には地味な神社だが、無人の拝殿の横には実物のだんじりが展示されている。
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| 天性寺(蛸地蔵) |
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天正年間、根来衆に攻められ落城寸前だった岸和田城を、蛸に乗った一人の法師と数千の蛸が救ったという伝承に基づく国内最大の地蔵堂だ。
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南海「蛸地蔵」駅
このあたりが旧岸和田城域の南端にあたる。
モダンになった岸和田駅とは対照的なローカル色の強い駅だ(各停電車のみの停車)。しかし、南欧風の駅舎は大正14年に築かれた南海本線では貴重な存在。天窓には蛸地蔵の伝説を描いたステンドグラスがはめこまれている。
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