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| 文明開化の心意気 |
| 最終更新日/2002/04/25 |
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| ひっそりと、だけど重要文化財指定 |
造幣局の北側、国道一号線をはさんだ対面にひっそりと古びた洋風建築が建っている。これが明治4年、造幣局に付属する応接所として建てられた「泉布館」である。明治時代には明治天皇のお気に入りとして皇室はもとより海外からの賓客も多く迎えられて華やかな時代を謳歌したという。大阪市内で最も古い洋風建築でもあり、昭和31年に重要文化財に指定されている。敷地内への立ち入りは自由だが、内部は毎年3月末の春分の日をはさんだ3日間のみ一般公開されている。 |
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| 沿 革 |
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設計者は造幣局と同じくイギリス人技師ウォートルスが担当しており明治3年2月着工、翌年2月に完成している。
屋根組は日本式の木造(明治26-7年ごろに改造されている)で壁はレンガ造り。1・2階ともに3方に石柱を並べた広いベランダを持つ。これは英国人が温湿な地方の植民地に好んで建てたコロニアル様式と呼ばれるものだ。
間取りは中央に廊下を貫通させその左右に部屋を配置する18・19世紀頃の英国の上流階級の住宅様式を採用している。 |
1・2階の石柱は国産の御影石製で56本ある。形式はローマの神殿にみられるドリス式を簡略化したタスカンオーダーと呼ばれるものだが、これを造るために名古屋から岡山までの石工が集められたという。
また壁は煉瓦積みで表面に漆喰を塗っている。煉瓦は国産品であり堺近辺の瓦職人が作ったが、初めての煉瓦製作にとまどったのか出来の良くない物も多いらしい。室内の暖炉等に用いた耐火煉瓦や内装品として用いられたシャンデリア、磁器タイル、化粧鏡は輸入品が用いられているが19世紀の英国系工芸品として優れた作品が多く文化財としての価値も高い。 |
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| 内装はとっても豪華 |
| 命名は明治天皇 |
ここへは明治10年以来、明治天皇の行幸が多く、同22年には宮内庁に献納され、正式な大阪行在所(天皇行幸の際の仮の御所)となった。この泉布観の名称も明治天皇の命名で、泉布は貨幣、観は館を意味する。
その後、大正6年に大阪市へ移管されるが、太平洋戦争を幸いにもくぐり抜けたこの優美な建物は昭和31年に重要文化財に指定されるまでは歴史の表舞台に登場することはなかった。 |
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歴史的価値は十分あるこの建物だが、近年傷みが徐々激しくなっているようだ。年一度の一般公開の折にも建物保護の為、中へ入れるのは一度に30人までとの制限がついている。
本格的な改修のうえ、結婚式やパーティ会場として活用をはかっていくといったマスタープランはあると言うが予算の問題からか具体的な進捗は見られないのが残念。 |
| 柱、床共に御影石造りだ |
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| 洋館なのに庭には和風の石灯籠 |
石と煉瓦作りで見た目以上にしっかりした建物だ |
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泉布観横の屋根の抜けた煉瓦造りの建物の残骸
コイツは一体何? |
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| ユースアートギャラリー |
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| こちらも昭和31年に重要文化財指定となっている |
泉布館の敷地内にあるギリシャ神殿風のペティメントをいただく石造りの本格的な建物がある。
これは元々、初代造幣局の中心だった鋳造場の正面玄関部分である。大正15年に鋳造場が全面立替となったときに現在の場所に移転されたもので、これを利用して作られたのが明治天皇記念館だった。戦後は桜ノ宮公会堂と桜ノ宮図書館として使われていたが現在もユースアートギャラリーとして市民に活用されている。 |
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